阿波踊りNEW

 本校児童で結成された「風流連」があいずみスマイリーマルシェで阿波踊りを披露しました。2021/11/21

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

2021年12月2日(木)6年風流連が阿波踊り発表会を行いました。

 

 

 

 

 

 

 

 



ア ヤットサー ア ヤット ヤット

踊りは 風流だ  風流は 踊りだ ア ヤットサー ヤットサー

ひょうたんばかりが うきものか わたしの こころも ういてきた

ういて おどるは あわおどり ア ヤットサー ヨイサー

一かけ 二かけ 三かけて しかけた おどりは やめられぬ

五かけ 六かけ 七かけて あ やっぱり おどりは やめられぬ

ア ヤットサー ヤット ヤット


風流のこと 

 
 天正六年(一五七八)七月十六日の空は、秋風がすずしくふきぬけ、日の光も少しやわらかくなってきた。勝瑞城主の十河存保(そごう まさやす)公はおどりを見物しようと決め、建物を作らせ、座席をかまえてお座りになった。存保公の前には家来が二・三人が座り、その次に荒川越中(あらかわ えっちゆう)、五十嶋将監(いそじま しようげん)、工藤才十郎(くどう さいじゅうろう)、有岡長五郎(ありおか ちょうごろう)、吉良藤三郎(きら とうさぶろう)、岩越左門(いわこし さもん)、小林長七(こばやし ちょうしち)、南条寿済(なんじょう じゅさい)らが席に着き、他の侍は桟敷(さじき)の前後に座った。
 多くの人々も今この時とばかりに見物に集まったので、芝居見物のような大きな騒ぎとなっていたが、これを静めるために、身も軽い十人が天狗(てんぐ)の姿で、棒をもって、走り出てきた。次に、蓬莱(ほうらい)の嶋ともいうようなきれいな色々の玉の枝をさした山を山車(だし)に乗せて、百人くらいの人がはやりの歌を歌いながら引き出している。続いて隠れ蓑(みの)や隠れ笠を身に着けた人が、打ち出の小槌(こづち)から出てきたような、まるで竜宮世界のお宝の品々を持って通る。
 その次には大おどりの六・七十人が、十河額(そごう びたい)に髪を一つに後ろでくくって、渋色の手ぬぐいを二重に回して鉢巻(はちまき)にしている。そして、背中に松の葉を染め付けた渋染(しぶぞめ)のかたびらを着ている。黒い綾(あや)の帯をしめ、二尺一寸の大脇差(おおわきざし)の刀をさしている。その刀は角鍔(かくつば)で、紅の下げを結い、黒皮と金の鮫皮の柄(つか)、巻鞘(まきさや)は銀をあしらっている。その人々は手拍子を打ってはやりの歌を七・八曲歌い、その場は静かになった。
 その次は、小踊りの人数五十人が現れた。年は十六・七で美しい子どもをえりすぐったようだ。金のつくり花をさした扇の形の笠をかぶり、紫染めの衣を着て、顔を包みかくしている。白い肌着に縮れ京染(きようぞめ)の単衣の着物の上に、帯を結んでいる。金と銀で太陽と月を描いた紅の扇をもって、腰には幣串(へいぐし)をさし、なめし皮の白足袋に草履(ぞうり)をはいている。
 中おどりの十四人はいろいろな鳴り物を鳴らし、いずれも伊達風(だてふう)に衣装をこしらえている。拍子を面白く打ち鳴らしながら歌い出て、ひとおどりさらりとおどって、引き足になる。今ひとおどりと望まれれば、引き返してきて、持っている扇を腰に差して、幣をぬいて、『御世(みよ)は千年、松の葉の散り失せぬ、身の栄え行く神の誓い目出たき』と歌う。さらに押し返して、足拍子を静かに踏(ふ)みそろえ、おどりをしめくくる。
 この様子を見れば、本当に世のいやなことを忘れ、苦しみが消え、幸せな気持ちになれる世界に生まれ変わることはまちがいないような心持になる。
 
      『三好軍記』(寛文三年 福長玄清)を元に教育資料化

※十河額・・・三好長慶の弟で鬼十河と呼ばれた十河一存(そごう かずまさ)の額を広くそり上げた髪形。
※十河存保は三好実休の実子であるが、讃岐十河家の家督を継いだ。三好長治が戦いに敗れ自刃した後、三好家臣団に請われ、三好家最後の勝瑞城主となる。中富川の戦いで土佐の長曾我部氏に大敗し、勝瑞城は落城。存保は、讃岐へと退いた。
※三好存保が京から招いた風流踊りが勝瑞城下で踊られたことから、後の阿波踊りの起源の一つとする説もある。